症例集

 最近経験した症例を提示する。何れも乳癌術後の再発で、薬剤が奏功し転移巣の完全消失を得た貴重な症例である。いわゆるHigh Risk Group であるが、薬剤の適用が完全に奏功した若い女性の例。また、手術を全く行わず、薬剤だけで乳癌が完全に消失した例などを示す。

目次

症例1 Mさん 37歳 女性 右乳癌

*小さい腫瘤なのにすでにリンパ節に転移、悪性度は高い。若いのでエストロゲン作用は残してあげたい。

 Mさんは、関東のある乳癌専門医の病院で、乳がんと診断され手術をうけた。右乳房の1㎝大の腫瘤(しこり)で比較的早期の乳癌で、リンパ節にも診察上は転移は認められなかったとのことである。乳房温存手術およびセンチネルリンパ節(がんが最初に転移するリンパ節で、見張りのリンパ節ともいう)1個が摘出され、組織検査にまわされた。その結果、浸潤癌で取り切れてはいるが、センチネルは陽性であった。またER(+陽性)、PgR(-陰性)、Her2(-陰性)、n1(リンパ節転移1)、総括すると、T1N1M0(しこり1、リンパ節転移1、遠隔転移なし)(Stage2、Ⅱ期)と決定した。主病巣は小さいにもかかわらず、リンパ節に転移がみられたことは悪性度が高いと見られ、右腋窩リンパ節郭清とともに、術後補助療法が必要と考えられた。患者さんの希望により私はその役を引き受けることになった。そこで私は右腋窩の精査をおこない、リンパ節は3㎜径のものが3個、触診上認められるがやや柔らかく、さらに術後の反応性(手術後の反応で現れたもの)もあることなどから転移はないと考え、また患者さんが若いことも考え術後補助療法に踏み切った。
 まず抗癌化学療法を開始し同時にホルモン療法(タモキシフェン)も併用することとし、その反応を観察することにした。化学療法は半年の予定であることを患者さんに、わかりやすく説明し、同意を得た。副作用、効果など長年の蓄積された自身の経験にもとづき、EA療法4サイクル(エピアドレアマイシン+エンドキサン)続いてタキソール11サイクル+5’DFUR(一般名はドキシフルイジン、商品名はフルツロン、2週ごとの投与)を続行した。抗癌化学療法終了時、リンパ節はむしろ縮小傾向であったので、経過を観察することにしホルモン剤は継続投与とした。1~2mm大のリンパ節は残っているが正常とかんがえられた。7年経過した現在、再発は認められず、タモキシフェンは継続投与している。これも考えあってのことである。AI(アロマターゼ阻害剤、ホルモン剤の一つ)は彼女の場合全身状態を考え使用しない。タモキシフェンのエストロゲン作用に期待したい。現在彼女は全く健康で生理は止まったままだが、そのほかは健康状態を続けている。

最上部へ戻る

症例2 Aさん 30歳 女性 右乳癌再発

*若い人で悪性度が高く転移も早かった。ホルモン作用を根こそぎ阻止する方法が、成功した極めてまれな例である。

 この患者さんは21mm大の腫瘤が右乳腺にありT2aN0M0(しこり2a、リンパ節転移なし、遠隔転移なし)(Stage2、Ⅱ期)の状態で来院された。早速手術を行ったが腫瘤が乳頭に近く、生検の結果、浸潤癌であり辺縁が不規則と分かった事から胸筋温存手術(オッケンクロス法、Auchinncross)で手術(全摘)を施行した。リンパ節転移はなかったが、術後転移抑制のために抗がん化学療法のEA投与(前述)を4回行った。またER(+陽性),PgR(+陽性),(Her2 、3+)であったので、タモキシフェンおよびハーセプチンを補助療法として継続投与していたが、術後6年で小さい局所再発が2か所、さらに脊椎骨転移が認められた。そこで胸壁再発の小さい腫瘤1個を組織学的確定のため切除し、残った胸壁の1個と脊椎転移巣に対し、タモキシフェンをAI(フェマーラ1.25mg、即ち2分の1錠のアロマターゼ阻害剤)投与に変えた所、両再発巣ともに縮小を始め、2年後には完全に消失した。既に再発後15年が経過していて、完全治癒が期待される。引き続き経過観察が必要である。

最上部へ戻る

症例3 Uさん 60歳 女性 左乳癌再発

*ホルモン剤(適量の長期投与)が奏功し完治したと思われるまれな症例。

 初診時の症状は、左乳がんT2N0M0(しこり2、リンパ節転移なし、遠隔転移なし)、 (Stage2、Ⅱ期)、浸潤がんで大きさ2.2cmで、腋窩(わきの下)リンパ節転移はなく、全身検査でも転移は認められなかった。そこで左乳房全摘による完全治癒を目指した。組織検査からER(+陽性)PgR( - 陰性)Her2( -陰性 )n0(リンパ節転移なし)であったので胸筋温存手術(オッケンクロス、Auchincross手術)(左乳房全摘+左腋窩リンパ節郭清)を実施した。術後補助療法としてタキソール6回を投与し、タモキシフェンの連続投与を併用した。しかし術後5年目、CT検査で両肺に多数の転移巣を発見し、再発と断定した。そこでタモキシフェンをAI(フェマーラ1.25mg、即ち2分の1錠のアロマターゼ阻害剤)に変更し、経過をみていたところ転移巣は次第に縮小し、1年後には完全に消失した。ご本人は事業に精力的に取り組み診察日を忘れるくらいであったが、AI剤は忘れることなく服用を続けている。その後6年が経過したが再発は全く見られない。なおAI剤であるフェマーラの服用量は通常の投与量の2分の一(1.25mg)で副作用は極度に少ない。このことはすでに発表した(注)。今後もフェマーラ(AI)の投与を続けていきたい。診療は引きつづき行う予定である。

最上部へ戻る

症例4 Hさん 42歳 女性 左乳癌再発(左側頸部)

*閉経前の乳癌のホルモン療法に関して、多くの知見を得させてもらったある意味,患者でありながら恩師ともいえる貴重な存在である。

 42歳の時、左乳がん(T2N2M0しこり2、リンパ節転移2、遠隔転移なし)(Stage2、Ⅱ期)で胸筋温存手術(オッケンクロス(Auchincloss手術)(左乳房全摘+左腋窩リンパ節郭清)を行った。病理所見では浸潤癌でn+(7/8)すなわち高度のリンパ節転移がみられた。またER(+陽性),PgR(-陰性),Her2,( 3+)であったので, 術後補助療法としてCEF(シクロフォスファミド、エピルビシン、5-FUの3剤併用療法)を6サイクル(cycle)行い、ハーセプチンを毎週併用投与を続けた。手術一か月後からリュープリン(一般名はリュープロレリンでLHRHanalogue製剤、ホルモン療法)を毎週投与して、閉経を図った。閉経後丸6年を経過し再発も認められなかったので、リュープリンを中止した。その3か月後、突然月経が再来した。さらにその2年後、左側頸部に複数のリンパ節転移が出現し、全てを郭清した(n=4/6リンパ節転移4/6)。 今回の組織所見ではEr(+陽性),PgR(+陽性)Her2,(3+),n(+4/6)リンパ節転移4/6であったので、直ちにリュープリンを、さらに6年追加投与した。閉経時期の判定は個人差があり,かつ重要な問題である。今回はリュープリンとフェアストン(一般名はトレミフェン、ホルモン療法)とを同時併用した。リュープリンとフェアストン終了後、フェマーラ(一般名はレトロゾール、ホルモン剤、1.25mg)の投与を開始し現在も続行中である(全経過16年)。現在、症状はなくハーセプチン投与も330回(週)を越え、かつ全身状態は極めて良好である。

最上部へ戻る

症例5 Tさん 62歳 女性 左乳癌

*Stage3未手術の例

 3年前、他院で乳がんの診断を受け、知り合いの医師から紹介されて当方を受診された患者さん。直ちに診療に入り見せてもらった。左乳がんであり、左腋窩(脇の下)にもリンパ節転移と思われる腫瘤(しこり)を触知した。そこでMRI検査を行い、腫瘤の範囲を検討した。触診時の結果と同じく5㎝を越える範囲に、凹凸はあるが、広がりのない限局性の腫瘤を認め、3期乳がん(しこり3、リンパ節転移1、遠隔転移0)と診断した。ER(+陽性)PgR(-陰性)Her2(-陰性)との情報を、前の医師から得ていたので、本人の希望を確かめて、手術の前に抗がん化学療法を行うことにした。まず4サイクル(CYCLE)のEC(エビルビシンとシクロフォスファミドの2剤併用療法)の投与を行ったところ、効果がかなりあり、つづいてタキソール(TAXOL、一般名パクリタキセル)+5‘DFUR(フルツロン、経口)を始めたが、2サイクル後から効果が出始め、3サイクル後には、触診で完全消失した。これはMRIでも確信したが、薬剤投与は更につづけ、10サイクルにも及んだ。その間の副作用は、比較的軽微であった。抗がん剤の投与法及び、経口抗がん剤併用の結果だと考えられる。同じような経験は既にほかの複数の乳がん患者さんでも経験した。抗がん剤投与は期間、投与量、組み合わせの工夫など、検討すべきことが多い。この症例の場合、抗がん剤投与後、フェマーラ(一般名塩酸ファドロゾール、アロマターゼ阻害剤の一つ、1錠の半分;1.25㎎)連日投与中である。これは5年以上、副作用に注意しながら投与予定である。アフェマ開始後3年になるがすこぶる元気で仕事に励んでいる。

最上部へ戻る

症例6 Tさん 47歳 女性 左乳癌(Ⅲb期)

*手術だけで治癒したⅢb期乳癌の極めてまれな患者さんの例

 患者さんは女性牧師さんである。外国の大学神学科を経て、日本を本拠として世界中を回る国際的な人であった。南米に行く途中、米国のマイアミで右乳房のしこりに気付き、そのまま旅を続けるか悩んだという。訪れたベネズエラの町で癌でないと云われ、手術をせずにそのまま旅を続けたが、しこりは日に日に大きくなるし,リユックサックを背負うのも支障が出始め、不便だとの考えから、別の用事もあることだしと日本に帰ることにした。東京の宿泊所の近くの病院を探したところ、都立駒込病院を見つけしかも乳腺外科の専門家がいることを知り診療を受けることになった。
 診察した結果、これはいずれにしても、手術の適用であることを確心的に告げた。運よく空き部屋がたまたまできたので即刻入院することをすすめた。検査の後、判った事は左乳癌で腫瘤は直径7㎝大、右腋窩リンパ節転移があること、現在臨床上、遠隔転移はない(病期Ⅲb)と診断、このまま放置すると2,3か月で乳房の潰瘍化に進展する可能性があり、手術はおろか悪臭が発生し生活にも支障をきたすと話した。この癌の状態では、普通は手術だけでは不十分と考えられ、術後補助療法が必要であることを詳しく説明したが、手術以外は受けたくないとの強い意思が示された。
 そこで病巣をできる限り完全に除去するために、患部直上とそれに接する皮膚を安全と思われる範囲で、しかも皮膚移植を避けうる範囲で、薄層法を適用した。乳腺を完全に切除し、大小胸筋膜を注意して筋肉から切離した。後で判明したことだが筋膜でがんの浸潤は完全に阻止されていた。転移が確定している左腋窩リンパ節郭清も1,2,3群ともに、主病巣と連続し一塊として切除された。幸いこの手術は成功し、私としては満足できる最高の結果となった。これならリュックを背負い海外旅行もできるとおもった。本人の強い意思と努力により、術後の回復も驚くほど速く順調に終わった。その後10年以上になるが、元気に活動を続けているとの情報を友人の患者さんから聞き、手術だけで成功した稀有の例であった。

最上部へ戻る